「9.4 T縦型超伝導磁石を用いたMR microscopeの開発とヒト胚子標本のNMRパラメタ計測」


要旨


ヒトの発生学や遺伝学の研究を目的としたヒト胚子標本が,これまで,世界各地で収集されてきた.その質量ともに最大のコレクションが, 1961年から1974年にかけて国内で組織的に収集され,現在は京都大学に所蔵されている数万体の京都ヒト胚子コレクションである.これらの標本は,今後,二度と得ることができない極めて貴重なものであり,その解析に関しては,標本に損傷を与えない計測手法であるMR microscopyが非常に有望である.
このような状況で,1999年,京都大学と筑波大学で胚子標本をMR microscopeを用いて三次元撮像し,三次元解剖学構造データベースを作成するための共同研究がスタートした.この研究においては,大量の標本を効率良く撮像する必要性から,超並列型MR microscopeが提案され,静磁場強度2.35T,ボア径40cmの横型超伝導磁石を用いた超並列型MR microscopeが開発され,これによって,2003年から2005年にかけて,1204体のヒト胚子標本の三次元撮像(128×128×256画素,スピンエコーT1強調像)が行われた.
上記のヒト胚子標本は,主にブアン溶液(ピクリン酸,ホルマリン,酢酸の混合液)で化学固定され,その後,ホルマリン水溶液中で長期間保存されたものであり,撮像は,NMR試料管の中で保存液に浸された状態で行われる.よって,この標本の撮像では,胚子標本そのもののプロトンからのNMR信号ではなく,標本に染み込んだ水溶液のプロトンからの信号が計測されている.ところが,標本のプロトンを観測していないにもかかわらず,胚子の解剖学的構造が,染みこんだ水溶液のプロトンのMR画像コントラストとして明瞭に描出されている.すなわち,この現象は,標本に染み込んだホルマリン水溶液のプロトンの核磁気緩和時間が,標本のタンパク質高分子などから大きな影響を受けていることを示している.よって,胚子標本の撮像においては,この状況を充分に考慮する必要がある.
さて,これまでに行われたヒト胚子標本のMR microscopyには,以下のような問題点があった.まず,Matsudaらによって行われた1,204体の標本の計測では,マトリクスサイズが128×128×256画素,パルスシーケンスがスピンエコーT1強調法に限られていたため,空間分解能が限られ,緩和時間に関する情報も限られていた.また,その後Otakeらによって9.4Tで行われた256×256×512画素の計測では,勾配エコー法だけが使われており,緩和時間などのNMRパラメタに関する情報が限られていた.
本研究では,以上の状況を踏まえ,(1)緩和時間(T1,T2)や分子拡散テンソルなどのNMRパラメタの定量計測が可能な,MR microscopeを開発する,(2)ヒト胚子の発展段階にしたがって,複数の標本に関してNMRパラメタ分布の変化を計測し,NMRパラメタの決定要因を考察すると共に,高分解能解剖学的構造データベース構築のための最適なパルスシーケンスを決定する,という2点を研究の目的とした.
MR microscopeには,9.4T,室温開口径54mmのNMR分光計用縦型超伝導磁石(JASTEC製)を用い,二次シムコイル,銅の無垢棒の切削による三軸勾配磁場コイル(外径39mm,内径32mm),3種類のサイズの異なる8エレメントバードケージコイル(直径19.5mm×長さ36mm,直径19.5mm×長さ16mm,直径16mm×長さ25mm)を開発した.また,デジタルトランシーバー(エム・アール・テクノロジー製,受信デジタル分解能16bit@60MHz)を導入した.
このシステムを評価するために,RFコイルの感度分布比較(バードケージコイルと鞍型コイル)を水ファントム(直径14mm,長さ30mm)とヒト胚子標本(CS23)を用いて計測し,受信系のダイナミックレンジ(DR)を,ヒト胚子標本を用いて計測した.その結果,開発したバードケージコイルは,従来型の鞍型コイルに比べて20%程度高周波磁場の均一性が向上したことを確認した.また,DRに関しては,80dB以上確保されており,256×256×512画素の撮像に十分であることを確認した.
以上のように開発したシステムおいて,CS18~CS23の胚子標本を対象に,T1強調3Dスピンエコー撮像(TR=200ms,TE=12ms),T2強調3Dスピンエコー撮像(TR=800ms,TE=18ms, 24ms,36ms),プロトン密度強調3Dスピンエコー撮像(TR=800ms,TE=12ms),T2*強調3Dグラジエントエコー撮像(TR=200ms,TE=6ms,8ms,10ms)を行った.いずれも,画素数は256×256×512画素,画素サイズは(60mm)3とし,信号積算回数(NEX)は1~3とした.そして,これらの画像より,T1分布画像,T2分布画像,プロトン密度(PD)分布画像を計算により求めた.また,CS23に関しては,6種類の拡散テンソル強調画像(TR=1200ms,TE=32ms,2NEX,128×128×256画素,(120mm)3画素)を撮像し,平均拡散係数(MD)分布画像と拡散異方性(FA)分布画像を求めた.
以上のように得られた画像から,(1)T1分布画像とT2分布画像は酷似している,(2)T1およびT2分布画像とMD分布画像も酷似している,(3)組織境界や線維質の組織ではFAが高値を示す,(4)PD分布画像は,標本の部位において,保存液の部分の約1/3のほぼ均一な画素強度を示す,(5)各部位のT1,T2はCS18~CS23であまり変化しない,(6)胚子標本の部分のMDは保存液のMDの約60%である,(7)解剖学的構造の描出にはT1強調画像(スピンエコー法およびグラジエントエコー法)が適しており,その最適コントラストノイズ比が得られるTRは200ms程度である,という結果が得られた.
以上の結果より,(1)本研究で開発したMR microscopeは,ヒト胚子標本のNMRパラメタ計測に十分な性能を有する,(2)ヒト胚子標本のNMRパラメタは,肝臓を除き細胞の密度によって決定され,保存液の存在する空隙の大きさの僅かな違いによって変化し,それによって画像コントラストが決定される,(3)解剖学的構造の計測には,9.4Tにおいては,TR=200msのT1強調画像(スピンエコーおよびグラジエントエコー)を使用するのが望ましい,と結論した.